多読とは何か

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英文が書けて意味が言えることと使えることは全く別物です。この教室では英語を使いながら身につけていきます。使いながら学ぶと言っても、何も難しいことではありません。「聴く、読む、話す、書く」の4つを、自然な状況の中で行っていく、ということです。自然な状況とは、

・聴く/読む...先生が本や素材を紹介する、あるいは生徒が自ら読みたい本や素材を見つけて読む
・話す...教室の中で、日常の会話を先生と(生徒同士で)する、自分について他国の人と英語で話す
・書く...他国の人とメールでコミュニケーションをとる、SNSで自分の考えや経験を英語で表現できる

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ことばを使う時には、必ずそこに「必要」や「欲求」があります。読みたいものがある、伝えたいことがある、聞きたいことがある―そういう気持ちをもちながら、ことばと接しているということは、テストの点に駆り立てられながら暗記とテストに塗れて学ぶよりも、はるかに健全だと思いませんか。

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ことばの世界ではcontext=文脈といいます。「ことばが使われる自然な状況や流れ」と言ってもよいでしょうか。こうした流れの中でことばに触れ続けることで、人はどういうときにどう言えばよいのかを習得していきます。

例えば、「あれ、欲しい!」と子どもがおもちゃ売り場で駄々をこねたとしましょう。子どもは、ことばの構造や文法を知っていて「あれ、欲しい!」と発するのではありません。どこでどう覚えたかも分からないけれども、おもちゃ売り場でそう言えば買ってもらえる可能性のあることを知っていて、そういうのです。

「私は、あれが欲しいです。」「あなたにあれを買っていただきたい。」でも文法的には合っています。意味も通ります。文法的にはこちらの方がしっかりしていて正しいかもしれませんね。でも極めて不自然です。上の文脈で、子どもがこんなセリフを言うとは到底考えられないでしょう。

この子が「あれ、欲しい!」と言えるようになった原因はテレビでしょうか、本でしょうか、漫画でしょうか、あるいは見知らぬ人や友だちが発しているのを聴いたのでしょうか。いずれにせよ、単語帳や例文集を暗記した結果でないことは確かです。ことばの習得というのは、このように無意識に行われることが自然です。

だからといって、ここは日本ですから、放っておいて英語の習得ができるほど、世の中に英語はあふれていません。ですから、意図的にそういう状況を少しずつ作っていくことが必要です。そこで大切になってくるのが、とにかく色々な形で、より多くの英語に触れる環境を用意することです。

その一つの選択肢が「多読」なのです。

多読は、つまりは日本語で言うところの「読書」を想像してもらえばよいと思います。

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生まれたばかりの子に、文法を教えたり、新聞を読ませるような愚かな親はいません。子どもは、生まれたその瞬間からたくさんのことばを様々な人からかけてもらい、まず「たくさん聴く」ことからことばの習得をはじめます。

この教室に生まれたばかりの子はいませんが、英語に関して言えば、英語を習い始める子どもたちの頭の中は生まれたばかりの子と一緒のようなものです。ですから、この教室でも最初は「聴くこと」をたくさん行います。聴くことは初期のことばの学習にとても適しているのは、これが「受け身ででき、耳からの情報は拒否できないからなんですね。

意識はどこかよそへ向いていても、無意識では耳から入ってくる情報は脳にどんどん蓄積されていきます。日本語にも「門前の小僧、習わぬ経を読む」とありますね。毎日耳から入ってくる情報は、本人が意識しようとしまいと脳は勝手に学んでしまうのでしょう。

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だから、まずはたくさん聴くこと。

そして次に、あるいは並行しながら読む。

英語を聴く、あるいは読む、と今ここで聞き、皆さんの頭には今どのようなものが浮かんでいるでしょうか。小さい文字で英語がびっしり書かれた、いわゆるこのようなペーパーバックでしょうか。

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もちろん、このような本を最初から読める子はいません。例えばこの教室では、小5、小6で入ってくる子どもたちの多くは英語教室に通ったことがありません。そういう場合には、英語が全く書かれていない絵本からスタートします。そして次に、1ページに1語、1ページに2語...。そうして徐々に徐々に、語数が増えていき、やがて文になります。

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今は、こうした絵本が日本国内でも十分手に入るようになりました。さらに、映画やアニメのDVDも併用して、子どもたちが吸い込まれるようにその世界へ没頭できる生の英語素材を吸収する機会がはたくさんあります。教室では、毎年、数百冊単位で洋書を増やしています。

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小学生であっても、1年で100,000語~200,000語の英語を読み聞きする子は少なくありません。これは中学3年間で触れる英語量の実に10倍~20倍に相当します。中1から洋書を読み始める子は、3年でおよそ1,000,000語、もし中高と6年間この教室で学べばその英語は3,000,000語以上に達します。

年齢や経験、そして興味や関心に応じて、その子が気持ちよく読める、あるいは聞ける英語素材からスタートすることで、自分でもびっくりするほど多くの英語に触れることができます。また、お子さんが本を夢中になって読んでいるのを見たことがある保護者の方には、ここで説明は不要だと思いますが、特に「物語」は子どもを夢中にさせます。

アインシュタインは、こんな言葉を残しています。

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“If you want your children to be intelligent, read them fairy tales. If you want them to be more intelligent, read them more fairy tales.”― Albert Einstein

「子どもを賢くしたいなら、物語をたくさん読んであげるとよいでしょう。もっと賢くしたいと思ったら、さらに物語を読んであげればよいのです。」

科学の世界は、非現実性を帯びた物語の世界とはおよそ対極に位置しているようにも思えます。それなのに彼はどうして「物語」の大切さを強調しているのでしょうか。少し考えてみると合点がいきます。科学には、想像力、未来や自分を信じる力、困難を乗り越える力、奇跡は起こること、人間の素晴らしさと複雑さ―これらを抜きにして発展はない、そんな風にも私には思えます。ことばは思考力と密接に関わっているからこそ、良質な物語の大切さを彼は唱えたのではないでしょうか。

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こうして、英語で表現されたストーリーの中に身をおく機会を増やしていくうちに、いつの間にか自分と英語との壁はどんどん低くなっていきます。自分の周りに英語があるのが当たり前という状態になってきます。子どもたちにとってみれば、英語の勉強をしているのではなく、何やら面白い物語に触れているだけ、という感覚の方が強いでしょう。

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ここでも日本語の本に没頭している子を想像してみてください。この子たちは国語の勉強をしているわけではありませんが、物語を読む過程で、日本語の語彙も文法も、使い方も習得し、物事について考え、知識を得、自分を知り、人を知り、世界を知り...という営みを日々行っています。

こうしてたっぷりの英語に触れると同時に、少しずつその子のステージに応じて自分を英語で表現していきます。もちろん最初は挨拶や自己紹介。当たり前ですが、自分のことを表現できるようにしていきます。I want to be a teacher.ではなくて、本当に自分がなりたいものを表現できるようになりましょう。I like to play tennis.ではなくて、本当に好きなものを表現できるようになりましょう。

この教室では、中学2~3年になると、フリーライティングといって、100-200語程度の自由作文を始めると同時に、ネイティブスピーカーと英会話の機会を設け、本物の表現の機会を増やしていきます。

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さらに、高1からは、各自iPadを必携とし、教室外で自由に英語の素材を見つけて読み、また世界の人々と英語SNSを通じてコミュニケーションをとるようになります。常に英語をことばとして認識し、使い続けることがこの教室のモットーです。

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この教室では、学校の英語教師や塾の英語講師より、生徒の方が高い英語力をもつ場合も少なくありません。それは日々インプットしている英語量も、英語によるコミュニケーション量も、先生より遥かに多い場合があるからです。しかし、残念ながら生徒という立場である以上、定期試験で先生に成績をつけられてしまいます。それがどんなに理不尽で低レベルなものであってもです。進学にかかわる以上、中高の学校英語を完全無視という訳にもいかない場合がほとんどだと思います。

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そこで、小学生、中学生、高校生それぞれが、この教室では学校英語の捉え方について自分なりの答をもてるよう導きます。学校英語をどう自分の中で位置づけ、どのような学習法をもって取り組んでいくのか。もっと言えば、一生全力でやっても使えるところまでいかない学校英語に対し、どれだけ時間をかけずにやり過ごすかについて、生徒たちが一定の答を自覚し取り組んでいます。

少し耳障りな批判に聞こえるかもしれませんが、学校英語の現場というのは極めて酷い事例に満ちています。実例を挙げればキリがないので、ここでは詳細な記述は避けますが、相当数の生徒が英語の授業や課題のせいで英語が嫌いになり、興味や関心を削がれ、自信を喪失し、劣等感を植え付けられているのは事実です。

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英語で様々な人とコミュニケーションをとってみましょう。すると、一口に英語と言っても、世界には実に様々な英語があふれていることに気づきます。そして、そうした多様な人々とコミュニケーションをとるということは、ことばの正しさを振りかざして相手と向き合う、ということではありません。

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緊張感をもって、でもオープンに。慎重に、でもフランクに。

相手の言いたいことに迫りながら、また自分を理解してもらおうとつとめること、でもあります。

一度でも英語でコミュニケーションをとったことがあれば、学校英語や受験英語をいくらやっていても一向に英語のコミュニケーションスキルが磨かれることはない、ということが肌で分かります。なぜなら、

・コミュニケーションに必要な語彙は、単語帳には載ってないから。
・日本語、和訳をいちいち挟んでいてはコミュニケーションは成立しないから。
・世の中に完璧な英語など存在しないから。
・あなたが例えスペルミスや文法のミスをしても、それをいちいちとがめる人などいないから。
・自分のことを知らなければ、英語ができても表現することがないから。
・自分に興味・関心・好奇心が無ければ、人とコミュニケーションは成立しないから。
・どんな語彙や表現が必要かは、コミュニケーションをとる相手や場所によっていくらでも変わるから。

学校で習ってきたことは、実際のコミュニケーションの場ではいかに馬鹿馬鹿しくて役に立たぬものであるかは、使った人でなければ分かりません。日本という国では、英語を使っていない人が英語を教えているから、教わっている人も使えるようにならないのです。

使うからこそ見えてくる世界があります。「英語の勉強」から、英語を使う生活へ大きくシフトしたい生徒、そしてそれを大いにバックアップされたい保護者の方とのご縁を楽しみにしております。

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