新しい世界へ飛び出せ!

iPad
高校受験も終わり、一段落?

でもないようです。この教室では着々と新しい英語の学びへの準備が進んでいます。

いつかも書きましたが、

Today is the first day of the rest of your life./今日は残りの人生の最初の日。

です。常に今がスタート。そう考えると、

It’s never too late to start!/始めるのに遅すぎることなんてない!

なのかもしれませんね。まして前途有望な新高1生。彼らの可能性に私は胸がワクワクしています。

多くの高校受験生は、今頃は高校英語の先取りか、あるいは高校から出された宿題をしている頃だと思います。どうせ高校で習うなら、高校でやればいい。宿題は何かの合間にでもやればいい。この教室はあくまで

“Be different.”=「人と違ったことをやれ」

で進みます。皆と同じことをやっていては、それは武器にはなりません。英語教室である以上、英語を武器にするにはどうしたらよいかのヒントを与えたいと考えています。答を出すのは生徒自身。私なりの答はあるつもりですが、それは彼らのとはきっと違うんですね。

留学したい人は、留学でサクッと英語を身に付けるのもいいでしょう。でも、留学しなければ英語を身に付けることはできないのか?留学しない人は、みな、受験?英検?TOEIC?英会話?でもないでしょう。

約束通り、高1生はタブレットPCを使って、どんどん英語を使うことを始めます。

「英語のお勉強は程ほどにして、英語をもう使ってみたい人、この指止まれ!」

で集まった、好奇心旺盛な新高1生たち。その一人は、早速iPadを購入。本日セットアップをしに来ました。

子どもたちって凄いですね。gadget持たせたら、自らどんどん色々な遊びを見つけてきます。まだ受験が終わって間もないのに、自分の好きな英語の素材をどんどん見つけてくるんです。その嗅覚に感心です。

生き生き英語を学んでいる人の特徴、それは「遊んでいる」こと。

遊びは、主体的で、楽しくて、創造的です。だから、たくさんの学びを生み出します。

単語帳や文法書、長文問題集のみに縛られる学習は、受け身で、退屈で、破壊的なところがあります。学んでいるように見えて、いろんなものをぶっ壊しています。主体性、楽しさ、創造性、実は―英語力も。

この1台を手に、新しい世界へ飛び出そう!

次の3年間、彼らが何を見つけ、何を学び、どんな英語の世界を見て、どんなスキルを身に付けるのか。全く先が見えません。一つ確かなのは、彼らは少なくとも、見えないものを摑みたい!という好奇心が旺盛な子どもたちであるということです。きっとそれぞれが、全く異なる答を見つけてくれると思います。

もちろん、自由を与える代わりに学ぶ者としての責任をしっかり果たしてもらいます。彼らはiPadの使用について、私が作ったA4用紙1枚にビッシリ書かれた誓約書にサインしないといけません。

学び以外に使ったら、講座は即中止、教室で学ぶことを辞退してもらいます。当たり前ですよね。ケジメはちゃんとつけましょう。

※このプレ高1講座(及び4月からの高等部FLEX講座)は、本日をもって定員、満席となりました。
(ご興味のある方はお問合せください。)

(2013年の記事より)

多読は哲学

先日新たに高3生の多読仲間が増えました。

「センター試験の長文が読み終わらない。スコアも5割ほどしか―。」

と、相談を受けました。

高校では私の聞いている限り、まだほとんどが、

(1)単語帳をベースに定期的に単語テスト(ターゲット1900が圧倒的に多い)

(2)文法の解説を聞き、問題集を解く(フォレスト・ネクステージなど)

(3)長文の訳読をして長文問題集を解く(教科書+入試長文問題集)

という3本柱で授業が組み立っているようです。

中学時代に一生懸命勉強して合格した憧れの高校。授業にも大きな期待をして、しっかりついていこうと頑張ります。高1は新しい環境に慣れることで精一杯。次第に環境に慣れてき、部活に打ち込んでいるうちに、あっという間に時間は過ぎていきます。授業でも、まずは目の前の宿題をこなし、なんとか遅れずついていこうと、指示されたことに何ら疑いを持たず勉強をするものです。模試を受ける機会はあれど、まだ高1・高2の頃はスコアが低くても問題意識は持ちません。「これから伸びるんだ」と、心のどこかで思っている。そしていつの間にか高3の受験生となる。ところが模試の結果に変化が無い―少し焦る。

そうしているうちに、もう受験まで半年。試しに過去問をやってみる。

「全然読めない―、やばい。」

と、この頃になってやっと気付くのです。

でも、それもそのはず。

上に挙げた旧来の英語学習だけでここまで来てしまった生徒は、速く読めるようになるはずがありません。速く読むためのトレーニングがどこにも組み込まれていないからです。

では文法問題についてはしっかり取れているのか?というと文法問題も50%にも満たないケースが少なくありません。受験予備校化した高校の授業にしっかりついてきたはずの生徒が、この時期になっても長文が読めない、文法もおぼつかない。

偏差値60後半~70を超えるような学校で、かなり学校の成績は良い生徒からもそういう相談を受けるので、一体どうしたものか…というわけです。結局は予備校や塾を利用してプラスアルファの勉強の方が圧倒的に多いわけですから、高校の「大学合格実績」というのは、イコール高校の教務力として鵜呑みにできる数字ではないな、と改めて思います。今に始まったことではありませんが。

読めない悩みを解決するのは簡単です。読むのに慣れればよいのです。慣れるためには量が必要です。量を読むためには簡単なものから始める必要があります。

そこで多読です。

※多読にも色々あり、どの段階で何を読むかがとても重要です。クラス全員に同じ本をホレと配って、「読めるようになるためには量が必要だ、受験に役立つんからツベコベ言わず読め!」というのは、私の中では全くもって多読ではなく、むしろ最も避けたい悪例です。少なくとも本人が楽しんで読んでいることが最低限の条件です。

簡単なものだから読める、読めるから量につながる、量をこなすから慣れる、慣れた結果速く読めるようになる。あとは徐々にレベルを上げていけば良いのです。理屈は単純明快です。

さて、話を戻して高3生。

この教室では、大学受験生では3人が多読を実践しています。それぞれに読んでいる英文は異なりますが、共通していることは「自分が読みたいものを楽しんで読んでいること」。これは当たり前のようで、これまでの受験勉強には無かったものです。読みたいものをガンガン読んで、楽しみながら受験の成果も出せる環境があるのです。もちろん彼らは楽しんでいるだけではありません。ある生徒は1年前と比べ、模試の偏差値が10up。またある生徒は、センター模試のスコアが2ヶ月半で100点から150点にまでup。

この教室のモットーは「楽しみながら結果を出す」

「楽しむ」ということばを、ややもすると「子どもの遊び」あるいは「ラク」のように捉えられがちですが、そうではありません。私が「楽しめ」というとき、「同じ結果を出すなら、自分が最高に楽しめる手段を主体的に選ぶべきだ」という、自分の行動に対する哲学を持て、という意味です。

口を「あーん」と開けて、誰かが餌をもってきてくれるのを待ち、与えられた餌を何の問題意識も持たずに鵜呑みにする、そんなぬるま湯の中で学ぶのか、あるいは「やばい」と感じたときに、自分が最も欲しているもの求めて自ら動いて取りに行くのか、その違いは時が経てば経つほど大きな差になる―と私は思うのです。

この教室で多読を実践している生徒たちは、若いながらも、目的意識のはっきりしている、後者の哲学を持った生徒たちではないかと、そんな風に思えるときがあります。

(2012年の記事より)

小学生多読講座1ヶ月経って(1)

早いもので9月10日にスタートした小学生の多読講座は、そろそろ1ヶ月が経とうとしています。まだレッスンは5回程度ですが、それぞれの生徒がそれぞれのペースをつかんできたようにも思います。表情を見ていても、笑顔が日に日に多くなり、新しい環境に慣れ、英語の本の世界にうまく入りつつある空気を感じます。

小6のこの生徒は、さっそくDr. Seussがお気に召したよう。ドサっとDr. Seussを目の前に積んで、今週2回あるレッスンで、かたっぱしから読んでいます。では他の子が同じようにこの本を読むか、というと絶対そんなことはないんですね。この生徒だからこそ、今この本に関心が向いているのです。

読んだ後に感想を聞いたら、最初は絵がとても気に入ったようです。今日は内容についても感想で触れていました。少しずつ本の中へ入る深さが変わってきているようです。

小5のこの生徒は、CTPの絵がお気に入り。CTPは全てにCDの音源がついているのですが、途中から「CD要らない!」といって、音源無しで読んでいました。大丈夫だろうか、と思って声を掛けたら、スラスラ読めています。英会話をやっていることもあって、きっと入りがスムーズなのでしょう。

さらに、この生徒の読書記録帳面はとってもユニーク。素直な感想に加え、気に入ったシーンの絵なども加え、彩り豊かなオンリーワンのノートになっています。記録帳の付け方も細かに指示はしません。最低限必要な項目だけを伝え、あとは自由に書くように伝えてあります。とてもシンプルにリスト形式でつけている生徒もおり、さまざまです。

まだ、たった1ヶ月ではありますが、自由な多読の空間で、それぞれの生徒がそれぞれの楽しみ方を見つけつつあるようです。

全員に同じ課題を同じようにやるように命令し縛り付ければ、子どもたちは大方それに従うでしょう。大人社会では到底通用しないような非常識な人間の言うことでも、子どもは柔軟に、いじらしいほどに従おうとします。でも、そういうことが常となり、慣れきってしまえば、自分で考え、自分を表現する意思、方法を模索して実現する機会は失われる一方です。

「誰か」がやれと言ったことをやっていれば未来が保証される時代ではありません。

たかが英語。でも、その英語を学ぶ課程で、この教室では、子どもたちが自分の意思をしっかり中心に据えながら学んでいける環境を維持し、子どもたちの成長を支援していきたい、と強く思っています。

(2012年の記事より)

大人の多読

今日は卒業生が一人、今大学生で入社を控え英語を学び直したい、という相談で―多読のススメ。

まずは洋書絵本というのはこんな感じです、というところを、

・Oxford Reading Tree
・”I Broke My Trunk” (Elephant & Piggie) by Mo Willems

を一緒に読みながら、感じ取ってもらいました。英語の絵本を紹介すると皆さん口々に言うのは、

「今まで習った英語って何だったの?」

ということ。例えば、Oxford Reading TreeのStage-1、つまり幼児向け絵本の本当に最初の最初の本を紹介しますが、これを日本のカリキュラムと対応させると、とんでもないことになってしまいます。

え?人なのにIs itでいいんですか?Is heでは?とは思いませんか?まだそこまで学校・受験英語には縛られていませんか?

「先生!英語は「主語S+動詞V」から始まるのでは?」とか尋ねたくなりませんか?何この文頭のUp?倒置?でも小学生や中1の子は、何の疑問も持たずに自然に読むんです。だって、文法なんて概念が無いのですから。

日本の文法カリキュラムでは、命令文は1年生。過去形は2年生。左のページを読んでから右のページを読めるまでに数ヶ月を要することになります。文法で区切る授業がいかにナンセンスかが分かります。

現在進行形が何か、なんていう説明は一切不要。絵を見れば分かります。これが洋書絵本の素晴らしいところ。説明しなくても読んでいれば分かるんです。文法はことばで説明されればされるほど分からなくなる…経験ありませんか?

「get(動)得る、手に入れる、受け取る」と覚えたかもしれません。ではこの場合はいかがでしょう?和訳は必ずしも必要ないのです。読書によって培われる、英語の中核を担うmake,get,take,haveなどの語感は和訳で覚えるよりも遥かにぼんやりしたもので、これを子供たちは感覚的に身につけていきます。

いかがでしょうか、100冊以上あるシリーズ絵本の数冊のさらに一部ですが、とても表情がある豊かな英語だと思いませんか。

小学生や中学生の初めから、こういう英語との出逢いがあると分かっていたら、最初から入試問題集や文法問題集、参考書を与えたいと思うお母さん、お父さんは少ないと思います。この教室では、こういった表情ある英語から入り、1年後、2年後には自分にとって大好きで好きな洋書についてちょっぴり熱く語れる子供に育っていきます。

大人だって同じ。今から英語をやり直したい、という方もどうか、「中学英語を1週間でやり直せる」みたいな本を買わないでください。そんな本に手を出すくらいなら、お近くなら是非一度気軽に相談にお越し下さい。

大学受験が終わると、大半の大学生は今度はTOEICの勉強を始めます。就職活動を意識してでしょうか。そして大学を卒業して社会人になっても、またTOEICの勉強。日本人のテスト崇拝っぷりは異常です。中、高、大までテスト漬けで、テストによってしか英語力を評価されない文化で育った多くの人は、こうして一生テストという呪縛から逃れられないのかと思うと、悲しくさえ思います。

もう英語力を数字で判断する時代はとうの昔に終わっているのです。

自分が本当にハッピーになれる素材を使って、もっと自由にダイナミックに英語を学ぶ環境は、既に整っているのですよ。

(2012年の記事より)

文法・語法にとらわれずに内容をつかむ。

中2のレッスンをご紹介しながら、「文法・語法にとらわれずに英語の内容をつかむ習慣」についてお話します。

ENGLISH WONDERLANDでリーディング用に使うのはネイティブ素材。このため、文法・語法・語彙も、日本の指導要領・カリキュラムなんてお構いなしです。日本のカリキュラムに沿って文法から入り、文法が一通り終わったらリーディング、などと悠長なことを言っていては、高校卒業しても絵本1冊読める力がつきません。

文法・語法が気になって読めないのは、従来型の英語教育が染み付いてしまった大人だけ?

ちょっと脱線して、皆さんのお子さんが生まれたときのことを思い出してみてください。

生まれたてのわが子に対して、

「まだ、うちの子は生まれたてで日本語が分からないから、やさしい国文法の文を厳選して話しかけよう!」

などという考えをもった親御さんがいらっしゃるでしょうか。言葉は自分のきもちの通りに出てきたものが自然なもの。文法はあくまで後付け。

「この世に生まれてきてくれて本当にありがとう。あなたはパパとママの宝物よ。ただただあなたが幸せになってくれた私たちは幸せなの。」

というメッセージこそが尊く、大切なのであって、

・この世にの「この」は連体詞、「に」は場所を表す助詞で
・生まれての「て」は助詞、おっと接続助詞か?
・生まれてきての「き」は来るの連用形で、待てよ、「来る」はカ行変格活用でちょっと特殊部類だったな、さらに「て」は接続助詞…この2つの文節は補助・被補助の関係だな…

「あぁ、うちの子はまだ生まれたてだから、接続助詞なんて分からないわね、先に接続助詞を教えてから、私たちの気持ちを伝えましょうよ、パパ!まずはうちの子に接続助詞のレッスンよ!早く参考書買ってきて!」

なんてお母さんはいないのです。

アホらしい話に聞こえるかもしれませんが、今の英語・国語教育はこういう要素を多分に持っているということをぜひ知っておいていただきたいと思うのと同時に、私はこの点にとても大きな危機感を持っているのです。(ここでおそらく、学校のテストや受験ででるから仕方ない、というお考えの方もいらっしゃると思いますが、これについてはまた違う記事で触れたいと思います。)

話を少し戻して。

とても不思議なのは、私たち大人は、文法が分かっていなければ文が読めない、という先入観を持っている方も多いと思うのですが、子どもって全然私たちとは異なる読み方をするんです。

まず子どもたちが凄いのは、「習ってないから読めない」という先入観が無い、ということです。

本文中で、自分の知っている語句と挿絵、そこに自分たちの想像力を組み合わせて、文脈を組み立てる力は大人の比ではありません。この想像力のお陰で、分からないけど「分かる」という状態を作っているようです。

ここが凄く大切です。子どもは「分からないけど分かる」という感覚を持ち始めるのです。

例えば、今うちの生徒たちが読んでいるネイティブ素材は、文法的に言えば、

「関係代名詞・不定詞・接続詞・過去完了・助動詞...」

が多分に含まれます。これらの文法は、中2になりたての彼らは全て知りません。おまけに高校の文法も多く含んでいるのにもかかわらず、全員が大意をきちっと取りきるのです。全員がちゃんとストーリーを追えているのです。文法の説明をしなくても。

まさにワンダーランドです。

子どもたちが想像もしないような多くの可能性を持っていることを目の当たりにしたとき、その可能性を殺すような教え方は避けたい、とつくづく思います。

この日は100語程度のシーンを2つ。

1.講師の音読を聞いて、大意をつかむ。(皆で出し合ってシェア)
2.生徒が音読をする。読めない部分は講師の音まね。
3.どうしても知りたい部分1箇所に講師が答える。

という流れでリーディングパート終了。

こうして、子どもたちは文法や単語にとらわれずに、「内容を取る」という本来読み方を習得していきます。

これが1回、2回...3年間で何百回と繰り返されることを想像してみてください。子どもたちがどれだけの成長を見せるでしょうか。

文法の学習を否定している訳ではありません。

この教室では文法の学習もかなりきっちり行います。文法をやることが悪いのではなく、文法にとらわれた息苦しいような英文だけでは、子どもの脳みそは逆に物足りなさを感じ、本当は最も伸びる時期なのにかえって可能性を狭めてしまうのです。

興味、関心を大切に。それこそが「読みたい!」の原動力。

私たち大人の役割の一つは、そんな彼らの可能性のつぼみが、なるべく大きな花を咲かせるような環境を与えていくことだと思います。ENGLISH WONDERLANDのリーディングレッスンや多読レッスンは、英語という領域において、そんな素敵な環境であれたらいいな、という思いで組み立てられています。

(2012年の記事より)